2011年07月19日
カブトムシサイコー
こんにちわ
3連休はどうでしたか
連休明けは耳塚がブログを担当します。
昨日はイベントがありましたね
参加して下さった方々ありがとうございます
僕は調布校で初級とアカデミーのイベントを劉コーチの元、
担当しました。
普段劉コーチとレッスンが重なる事がないので、張りきっちゃいました。
初級イベントの内容はとてもハード
皆さんすごく動いてました。
レッスンの3時間もあっという間に終わり、充実してました。
劉コーチにとっては3時間は短いようで、やり足りないようでした(笑)
午後は選手育成のアカデミーレッスン(小3から小6ぐらい)
盛り上げる為、僕が声をだしてというと
子供1『キェエエエエエエ』
子供2『きゃっほほおーーー』
劉コーチ・僕『………………』
声はカッコ良く出しましょう。
最近は日焼けしてこんな色になりました。
3連休はどうでしたか
連休明けは耳塚がブログを担当します。
昨日はイベントがありましたね
参加して下さった方々ありがとうございます
僕は調布校で初級とアカデミーのイベントを劉コーチの元、
担当しました。
普段劉コーチとレッスンが重なる事がないので、張りきっちゃいました。
初級イベントの内容はとてもハード
皆さんすごく動いてました。
レッスンの3時間もあっという間に終わり、充実してました。
劉コーチにとっては3時間は短いようで、やり足りないようでした(笑)
午後は選手育成のアカデミーレッスン(小3から小6ぐらい)
盛り上げる為、僕が声をだしてというと
子供1『キェエエエエエエ』
子供2『きゃっほほおーーー』
劉コーチ・僕『………………』
声はカッコ良く出しましょう。
最近は日焼けしてこんな色になりました。
2011年07月19日
19番目のティーショット (ゴルフ奮闘記続編)
午前4時52分。
ユウキは目覚めた。
いつも流れるサザンのミスブランニューデイはまだ聞こえない。
携帯で時間を確認し、目覚ましを解除する。
あまり眠れていない。が、体は軽い。
1回、2回、ユウキは軽く素振りをした。
「いける!」根拠レスな自信が彼を完全に覚醒させた。
着慣れないポロシャツ・スラックス姿で家を出た。
まさかこの6時間後、奈落の底に突き落とされるとは・・・
つけっ放しのテレビからは、なでしこJAPAN同点の歓声が鳴り響いていた。
サンメンバーズカントリークラブ。
今日の舞台だ。
スタートまで時間は3時間ほどある。
ユウキはレストランで朝食を取っていた。
そこに矢崎が現れた。
「植村さん、おはようございます」
「おお、グッモーニン」
2秒ほどの静寂のあと、矢崎は言った。
「今日はお願いします。打倒植村さんでがんばります」
「ほんまか、まあがんばれや」
ユウキは埼玉県人である。
大阪人でもなければサイヤ人でもない。
こいつにだけは負けられまへん、という強い思いが彼をおかしくさせていた。
その後、軽めの練習でたっぷりの汗をかき、開会式を迎えた。
クラブハウスのテレビでは、なでしこJAPAN勝利が伝えられていた。
「ナイショーッ」
直径約4.2㎝重さ約45gの球体が空高く舞い上がった。
第1組の大森がスタートの先陣を切った。
ユウキは第2組。
そういえば、小学校6年間ずっと2組だったな、
と意味の分からない回想にふけっていると、ユウキの組のスタート時間になった。
ユウキ・鶴田・そして矢崎。
第2組はこの3人。
だんだんとユウキの体は熱くなり、顔は紅潮してきた。
彼の血液中の全ヘモグロビンが全力疾走を繰り返した。
鶴田無難にナイスショット。
矢崎、矢崎が、予想外のナイスショット。
このナイスショットでユウキにさらに火がついた。
そのとき、彼のアドレナリンは完全に暫定基準値を上回っていた。
なるほど、直ちに健康に影響はないが、ユウキのゴルフスイングには直ちに影響を及ぼした。
その瞬間、彼は頭上に死兆星を見た。
前半9ホール。長い旅だった。
矢崎がナイスショットをしてはユウキをちらっと見る。
もし、ユウキが北斗神拳伝承者であれば、矢崎の命はなかったであろう。
前半終了。スコアは過去最悪の77。
彼はグレた。
人生2度目の反抗期を迎えた。
尾崎豊の15の夜に共感して、世の中の大人に背を向けた中2以来のことだった。
そんな彼を救ったのが、キャディだった。
日系ブラジル人の好青年だった。
自分と同じものを感じたのか、ユウキを放って置けなかったのだろう。
ユウキもこのキャディに応えようと、後半の奮起を誓った。
ユウキの実家の近くには、小さな公園がある。
ユウキはよくここで遊んだ。
特にユウキのお気に入りだったのが、砂場だ。
お山を作ったり、女の子に砂をかけていじわるしてみたり。
そんな幼少期の思い出を、5番ホールで思い出していた。
5ホール連続バンカー。
ユウキは一人、砂遊びに勤しんでいた。
水遊びではないだけ、まだ良かったのかもしれない。
後半ユウキは耐えた。
夏の暑さに負けず、矢崎の挑発に負けず、信用したキャディの愛想笑いにも負けず、彼は孤独に戦った、耐えた。
そして絶えた。
53。
ユウキ、渾身のラウンドだった。
77・53の130。
結果は平凡だったが、ユウキの中で何かが変わった。
何が変わったかは分からない。
ユウキの挑戦は始まったばかりだ。
長い1日は終わった。
帰宅すると、つけっ放しだったテレビに気付いた。
なでしこJAPANの喜びの声に耳を傾けながら、ユウキは洗濯を始めた。
(作者あとがき)
こんにちわー
内藤です。
昨日報告出来なかったコンペの結果報告でした。
雨でレッスン中止、時間があったので、小説風にしてみました。
ちなみに僕は53・49の102でした。
100切りならず・・
まだまだ修行がたりません。
次回はがんばろーっと
ユウキは目覚めた。
いつも流れるサザンのミスブランニューデイはまだ聞こえない。
携帯で時間を確認し、目覚ましを解除する。
あまり眠れていない。が、体は軽い。
1回、2回、ユウキは軽く素振りをした。
「いける!」根拠レスな自信が彼を完全に覚醒させた。
着慣れないポロシャツ・スラックス姿で家を出た。
まさかこの6時間後、奈落の底に突き落とされるとは・・・
つけっ放しのテレビからは、なでしこJAPAN同点の歓声が鳴り響いていた。
サンメンバーズカントリークラブ。
今日の舞台だ。
スタートまで時間は3時間ほどある。
ユウキはレストランで朝食を取っていた。
そこに矢崎が現れた。
「植村さん、おはようございます」
「おお、グッモーニン」
2秒ほどの静寂のあと、矢崎は言った。
「今日はお願いします。打倒植村さんでがんばります」
「ほんまか、まあがんばれや」
ユウキは埼玉県人である。
大阪人でもなければサイヤ人でもない。
こいつにだけは負けられまへん、という強い思いが彼をおかしくさせていた。
その後、軽めの練習でたっぷりの汗をかき、開会式を迎えた。
クラブハウスのテレビでは、なでしこJAPAN勝利が伝えられていた。
「ナイショーッ」
直径約4.2㎝重さ約45gの球体が空高く舞い上がった。
第1組の大森がスタートの先陣を切った。
ユウキは第2組。
そういえば、小学校6年間ずっと2組だったな、
と意味の分からない回想にふけっていると、ユウキの組のスタート時間になった。
ユウキ・鶴田・そして矢崎。
第2組はこの3人。
だんだんとユウキの体は熱くなり、顔は紅潮してきた。
彼の血液中の全ヘモグロビンが全力疾走を繰り返した。
鶴田無難にナイスショット。
矢崎、矢崎が、予想外のナイスショット。
このナイスショットでユウキにさらに火がついた。
そのとき、彼のアドレナリンは完全に暫定基準値を上回っていた。
なるほど、直ちに健康に影響はないが、ユウキのゴルフスイングには直ちに影響を及ぼした。
その瞬間、彼は頭上に死兆星を見た。
前半9ホール。長い旅だった。
矢崎がナイスショットをしてはユウキをちらっと見る。
もし、ユウキが北斗神拳伝承者であれば、矢崎の命はなかったであろう。
前半終了。スコアは過去最悪の77。
彼はグレた。
人生2度目の反抗期を迎えた。
尾崎豊の15の夜に共感して、世の中の大人に背を向けた中2以来のことだった。
そんな彼を救ったのが、キャディだった。
日系ブラジル人の好青年だった。
自分と同じものを感じたのか、ユウキを放って置けなかったのだろう。
ユウキもこのキャディに応えようと、後半の奮起を誓った。
ユウキの実家の近くには、小さな公園がある。
ユウキはよくここで遊んだ。
特にユウキのお気に入りだったのが、砂場だ。
お山を作ったり、女の子に砂をかけていじわるしてみたり。
そんな幼少期の思い出を、5番ホールで思い出していた。
5ホール連続バンカー。
ユウキは一人、砂遊びに勤しんでいた。
水遊びではないだけ、まだ良かったのかもしれない。
後半ユウキは耐えた。
夏の暑さに負けず、矢崎の挑発に負けず、信用したキャディの愛想笑いにも負けず、彼は孤独に戦った、耐えた。
そして絶えた。
53。
ユウキ、渾身のラウンドだった。
77・53の130。
結果は平凡だったが、ユウキの中で何かが変わった。
何が変わったかは分からない。
ユウキの挑戦は始まったばかりだ。
長い1日は終わった。
帰宅すると、つけっ放しだったテレビに気付いた。
なでしこJAPANの喜びの声に耳を傾けながら、ユウキは洗濯を始めた。
(作者あとがき)
こんにちわー
内藤です。
昨日報告出来なかったコンペの結果報告でした。
雨でレッスン中止、時間があったので、小説風にしてみました。
ちなみに僕は53・49の102でした。
100切りならず・・
まだまだ修行がたりません。
次回はがんばろーっと